今日、息子の新しい車椅子が届きました。
小さくて可愛かった今の息子が、少しずつ体も大きくなり、生活も変わっていく――その現実を前に、私は喜びと同じくらい、不安を感じています。
なぜ、そのような気持ちになるかわかりますか?
車椅子ひとつが届いただけで、抱えている感情の大きさに改めて気づかされました。
この記事では、息子の成長を喜ぶ一方で感じる親の不安や葛藤を、ありのままに綴っていきます。
同じように悩む親御さんに、少しでも共感や安心を届けられたらと思います。
新しい車椅子が届いた日
今日、息子の新しい車椅子が届いた。
ピカピカのフレームに、大きなタイヤ。以前のものよりしっかりしていて、安心感はある。けれどその分、どうしても「扱いやすさ」を失ってしまったように感じる。
前の小さな車椅子は、私にとっては軽くて気楽に押せた。狭い玄関にもすっと収まって、生活の中に自然になじんでいた。新しいものを目の前にすると、便利さを失ったことへの戸惑いがまずやってくる。
車椅子にかかるお金と、置き場所の悩み
今回の車椅子は、4万円近くの出費だった。
もし健常であれば、必要のないもの。わざわざ買わなくてはならない現実に、少し心が沈む。もちろん息子にとって必要なものだからこそ買ったのだけれど、それでも「普通ならいらないのに」と思ってしまう気持ちは消えない。
そしてもうひとつの問題は置き場所だ。玄関に収まるだろうか。これ以上、家の中が窮屈になったらどうしよう。たった一つの車椅子が、暮らしのバランスを大きく変えてしまうことに、改めて気づかされる。
成長の喜びと、不安のはざまで
実際に不安なのは、車椅子そのものではない。
息子の体が大きくなっていくことだ。
「今はまだ抱っこしてお風呂に入れられるけれど、いつまでできるだろう」
「もっと重くなったら、妻の腕では支えきれなくなるのではないか」
そんな問いが、夜ふとした瞬間に押し寄せてくる。成長はうれしいはずなのに、その先にある「できなくなること」を思うと、喜びの裏側に影のような不安が広がってしまう。
矛盾した親心

心のどこかで「ずっと小さくて、可愛いままでいてほしい」と願ってしまう私がいる。
その一方で、「元気に成長してほしい」と願う私もいる。
相反する気持ちを同時に抱えることは、親として自然なことなのかもしれない。けれど時に、その矛盾が自分を責める材料にもなってしまう。
「こんなことを思ってはいけないのに」
そう頭ではわかっていても、感情はいつも理屈どおりには動かない。
車椅子が映し出すもの
今日届いた車椅子は、ただの道具ではないのかもしれない。
それは息子の成長の証であり、同時に私の不安を映し出す鏡でもある。
新しい車椅子を玄関に置きながら、僕は立ち止まる。
「この子と共に、これからも私は変わっていけるのだろうか」
そんな問いが、胸の奥で静かに響く。
それでも一緒に
子育ては、喜びと同じくらい不安や迷いに満ちている。
それはきっと、障害の有無に関わらず、すべての親が抱くものなのだろう。
私はまだ答えを持っていない。
けれど、不安ごと息子と一緒に前へ進んでいくしかない。
今日届いた新しい車椅子は、そのための大切な相棒になるのだと思いたい。
同じような不安を持つ親御さんへ
もし、この記事を読んで「自分も同じ気持ちだ」と感じてくださった方がいたら、それはきっと僕だけではない証拠です。
子どもの成長を願いながら、その成長に不安を覚えるのは、決して弱さでも矛盾でもありません。
大切なのは、「不安を抱えたままでも一緒に歩んでいける」ということ。
その気持ちを分かち合える仲間がいるだけで、少しだけ心は軽くなるはずです。
今日も、僕たちは子どもと共に前へ進んでいます。
あなたはどう感じますか?
子どもの成長を見て、嬉しさと同じくらい不安を抱いたことはありますか?
もしよかったら、あなたの気持ちや体験をコメントで教えてください。
きっとその言葉が、私を含めた誰かの支えになるはずです。
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